『方丈記』 鴨長明 青空文庫より
表現読み 「序」渡辺知明
(1週目)行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を経てつきせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或はこぞ破れ(やけイ)てことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。
(3週目)住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。
(4週目)又知らず、かりのやどり、誰が為に心を惱まし、何によりてか目をよろこばしむる。そのあるじとすみかと、無常をあらそひ去るさま、いはゞ朝顏の露にことならず。或は露おちて花のこれり。のこるといへども朝日に枯れぬ。或は花はしぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、ゆふべを待つことなし。
<現代語訳>
(1週目)川の流れは絶えることがなく、しかも、そこを流れる水は同じもとの水ではない。流れが止まっているところに浮かんでいる泡は消えたり新しく生まれたりと、川にそのまま長く同じ状態であり続ける例はない。世の中の人と家も、また同じようなものである。
玉を敷いたように美しい都の中で、棟を並べ、屋根の高さを競っている。身分の高い人も低い人も、人の家は、長い年月がたってもなくならないものであるが、詳しく調べてみると、昔からあったままの家はほとんどない。あるものは、去年火事で焼けて今年建てたものもあれば、大きな家が滅んで、小さな家となっているものもある。
(3週目)住んでいる人も、これと同じである。場所は変わらずに住む人は多いけれど、古くからいる人は、二、三十人のうちで、わずかに一人か二人である。朝に死ぬ人があり、また夕方に生まれる人がいるという、世の中のさだめは、ちょうど水の泡ににている。
私にはわからない、生まれたり死んだりする人は、どこから来て、どこへ去っていくのだろうか。
(4週目)また、生きている間の仮の住まい/家を、だれのために心を悩ませて、何のために目を喜ばせようとするのか、わからない。その家の主人と家とが、常に変化する様子をたとえると、朝顔の花と露の関係と同じである。あるときは、露が落ちて花が残ることがある。残っているといっても、朝日がさすころには枯れてしまう。あるいは、花がしぼんで、露はまだ消えないでいることもある。消えないといっても、夕方まで残っていることはない。
方丈記(Popjisho)
方丈記(Popjisho)