2014年7月4日金曜日

教1)読み:方丈記鴨野長明

方丈記(ほうじょうき)』 鴨長明(かものちょうめい)  青空文庫より
表現(ひょうげん)()み 「(じょ)渡辺(わたなべ)知明(ともあき)

(1週目)()く川のながれは()えずして、しかも(もと)の水にあらず。よどみに(うか)ぶうたかたは、かつ()えかつ(むすぶ)びて(ひさ)しくとゞまることなし。()の中にある人とすみかと、またかくの(ごと)し。(たま)しきの(みやこ)の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々(よよ)()てつきせぬものなれど、これをまことかと(たず)ぬれば、(むかし)ありし(いえ)はまれなり。(あるい)はこぞ破れ(やけイ)てことしは(つく)り、あるは(おお)(いえ)ほろびて()(いえ)となる。
(3週目)()(ひと)もこれにおなじ。(ところ)もかはらず、人も(おお)かれど、いにしへ()し人は、二三十(にさんじゅう)人が(うち)に、わづかにひとりふたりなり。あしたに()し、ゆふべに(うま)るゝならひ、たゞ(みず)(あわ)にぞ()たりける。()らず、(うま)()ぬる(ひと)、いづかたより(きた)りて、いづかたへか()る。
(4週目)(また)()らず、かりのやどり、()(ため)に心を(なや)まし、(なに)によりてか()をよろこばしむる。そのあるじとすみかと、無常(むじょう)をあらそひ()るさま、いはゞ朝顏(あさがお)(つゆ)にことならず。(あるい)(つゆ)おちて(はな)のこれり。のこるといへども朝日(あさひ)()れぬ。(あるい)(はな)はしぼみて、(つゆ)なほ()えず。()えずといへども、ゆふべを()つことなし。

現代語(げんだいご)(やく)
(1週目)川の(なが)れは()えることがなく、しかも、そこを流れる水は(おな)じもとの水ではない。流れが()まっているところに()かんでいる(あわ)()えたり(あたら)しく()まれたりと、川にそのまま長く同じ状態(じょうたい)であり(つづ)ける(れい)はない。()の中の人と(いえ)も、また同じようなものである。
(たま)()いたように(うつく)しい(みやこ)の中で、(むね)(なら)べ、屋根(やね)(たか)さを(きそ)っている。身分(みぶん)の高い人も(ひく)い人も、人の(いえ)は、長い年月がたってもなくならないものであるが、(くわ)しく調(しら)べてみると、(むかし)からあったままの家はほとんどない。あるものは、去年(きょねん)火事(かじ)()けて今年(ことし)()てたものもあれば、大きな家が(ほろ)んで、小さな家となっているものもある。
(3週目)()んでいる人も、これと同じである。場所(ばしょ)()わらずに住む人は(おお)いけれど、(ふる)くからいる人は、二、三十人のうちで、わずかに一人か二人である。(あさ)()ぬ人があり、また夕方(ゆうがた)に生まれる人がいるという、世の中のさだめは、ちょうど水の(あわ)ににている。
(わたし)にはわからない、生まれたり死んだりする人は、どこから来て、どこへ()っていくのだろうか。
(4週目)また、生きている(あいだ)(かり)()まい/家を、だれのために心を(なや)ませて、(なん)のために目を(よろこ)ばせようとするのか、わからない。その家の主人(しゅじん)と家とが、(つね)変化(へんか)する様子(ようす)をたとえると、朝顔(あさがお)の花と(つゆ)関係(かんけい)と同じである。あるときは、露が()ちて花が(のこ)ることがある。残っているといっても、朝日(あさひ)がさすころには()れてしまう。あるいは、花がしぼんで、露はまだ()えないでいることもある。消えないといっても、夕方まで残っていることはない。

方丈記(Popjisho)